経営や売り上げ、社員育成でお悩みの経営者さんに必ず問うことがあります。
「その理念に”愛”はありますか?」
「その売り方に”愛”はありますか?」
「その育成に”愛”はありますか?」
「そこに”愛”はありますか?」
女性の場合は、広く愛を考えられるので「あっ」と直ぐ気づかれることは多いです。
でも、男性の場合は、「瑞穂さんの言う”愛”って何ですか?」と質問されることが少なくないのです。
「では○○さんにとって、”愛”は何だと思いますか」と問います。
すると「人や動物やモノを思う気持ち」ですとか、
「何かを強く思う気持ち」というお答えが返ってきます。
質問を変えて「”恋”と”愛”の違いは何だと考えられますか」とお聞きすると、
「”恋”は軽い感じで、”愛”は重い感じ」と言うお答えが多くあります。
感性論哲学では、
“恋”は自然発生的に湧き上がる生殖活動のためにある心情
“愛”は恋よりも精神的に純化された美学であり文化である
と定義しています。
どういう意味かといいますと、
恋はボーっと燃え上がり、好きという強い感情だけで動きますので、
相手を美化し、理想化してしまいます。
そのため、あばたもエクボに見せてしまうのです。
長所ばかりに目がいき、短所は見えません。
そうしないと、生殖活動まで行き着かず、種族が保存されないからです。
ところが、付き合い始めてしばらくして、パートナーシップを結ぶと、相手に対する理想化は薄らいできます。
その反対に、短所も目に付くようになります。
この状態で恋は終わります。
この状態で恋は終わります。
そして、そこから愛になるかどうかということになります。
人間は短所半分・長所半分で、その短所半分ある状態でも愛せるかどうかということが、愛があるなしの判断になります。
自分の気に入らないところが半分あって、それが当然であるという認識を持つことが人を愛するということなのですね。
相手に完全性を求めず、短所の存在を許し肯定し、信じる努力が出来るかどうかが愛なのです。
愛は努力で、愛は相手の成長を願うもので、愛は育てていくものです。
それは、パートナーシップだけではなく、
友人であり、職場の人間関係であり、お客様でもあるわけですよね。
そこに”愛”はありますか?というのは、
相手の為に、身を切って一所懸命努力していますか?ということです。
人間関係で言えば、
人間は誰でも”愛されたい”、”認めてもらいたい”
という欲求を必ず持っています。
そこを面倒がり、自分だけの固定観念で甘いの緩いのと判断して、
努力をかけてあげなかったり、認めてあげなかったりしていませんか?ということです。
どうか、愛あるマネジメントを意識してみてくださいませ。
スタッフさんを愛するから、愛される上司となれるのですよね(^ー^* )
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