昨日洋菓子店を営む兵庫県三田市の友人から、
ピオーネのお大福が届きました。
クール便で送っていただいたのですが、
届いたのが夜8時。賞味期限が当日。
息子は合宿でいない。
家人は和菓子はあまり食べない。
一人で食べきれない。
それも感動するくらいおいしい。
冷蔵庫にいれておいても、味が落ちてしまう。
お隣さんと近くのママ友に、夜でしたが美味しさのおすそ分けをしにいきまた。
「とっても美味しかったわぁ」という感想をもらい、
夜にもかかわらず差し上げてよかったぁと嬉しくなりました。
誰かに何かをして喜ばれるというのはとても嬉しいですよね。
私の場合は、かなり単純なことばかりなのですが、
「差し上げる」「与える」について
ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である
エーリッヒ・フロムが著書「愛するということ」の中で、
もう少し体系的に述べています。以下抜粋
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いちばん広く浸透している誤解は、
与えるとは、何かを「あきらめる」こと、
剥ぎ取られること、犠牲にすること、
それが美徳だという思い込みである。
見返りがあるときだけ愛を与える人にとっては、
与えても見返りがないというのは騙されるという事である。
生産的な性格の人にとっては、
与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現なのである。
与えるというまさにその行為を通じて、
私は自分の力、富、権力を実感する。
この生命力と権力の高まりに、私は喜びをおぼえる。
私は、自分が生命力にあふれ、惜しみなく消費し、
いきいきとしているのを実感し、それゆえに喜びをおぼえる。
与えることはもらうよりも喜ばしい。
それは剥ぎ取られるからではなく、
与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。
この原理が正しいことは、さまざまな現象にあてはめてみれば簡単にわかる。
一番わかりやすい例はセックスだ。
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与えるほうと、与えられるほうは、
精神的には、対等関係にあるのではないかと思います。
与えてやっているでは、相手をみじめにさせてしまいます。
お遍路さんへの「おせったい」然り、
東日本大震災でのボランティア然り。
「させていただく」精神が相手の心を軽くし、
自分の心を温かくするものだと思います。
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