正しいことを言っているのに、正しいことを指摘しているのに、中々周囲が理解してくれない。
そればかりか、正しいことなのにそれを否定されてしまうことがある。
覚えのある方はいらっしゃいませんか?
このような方の場合、周囲に心ある方がいらっしゃれば、
「正論だけを言ってもダメですよ」と言ってくれるかもしれません。
真面目で、一所懸命で、何事もきちんとこなすということは、とても当然のことですが、いつもそれがきちんとできる人ばかりではないんですね。
やりたいけれど、なかなか出来なかったり、やりきれなかったり、経験値から考えられなかったりする人もいるんですね。
ここを真面目なばっかりに、つい忘れてしまうと、反感を買ったり、孤独になったりすることがあります。
自分は、『普通』に当たり前のこととして話たり指摘をしていると思います。
「普通でしょ」
「当たり前じゃないですか」
「常識的に」
「客観的にみても」
でも、そうではない方からすると・・・
正論という『錦の御旗』を掲げて、上から目線でモノを言っているように、捉えてしまうんです。
そのつもりはなくても、
「馬鹿にするな」
「言われなくたってわかっている」
「ムカつく」
と、思われてしまうこともあります。
あなたがずっと上の上司であれば、「はい承知しました」になるかもしれませんが、コミュニケーション不足の上司であったり、同僚であったり、年下、後輩であれば、「カチン」ときて、恥をかかされたと思うこともあります。
理論・理屈ではわかっていても、感情が先になってしまうと、頭ではわかっていても素直に受け入れられないのが人間です。
そこを忘れずに対応することが必要ですね。
だからといって、遠慮して大切なことなのに話せなくなってしまっては、せっかくの正義感がなくなってしまいます。
家庭でも職場でも、日ごろのコミュニケーションが大切です。
いきなりズバッと言うのではなくて、タイミングを見たり、小出し作戦をしたり、提案や相談のカタチで話したり、ソフトに受け入れてもらえるワザを磨いてみてください。
初めての人たちとの会議やコンベンションでの意見交換会の場合、目的はなにかを考えてみてください。
正論をぶつけるのが目的なのか、正論の先の結果や成果を上げることが目的なのか。
もし、後者であれば、成果を上げるために、正論ぶつけではなく、説得でもなく、相手が納得するような感じの良い話し方をする方が得策ですよね。
そうした言い方をしたからといって、負けではないのですから。
目的をスムーズに達成したほうが勝ちです。
正論をきっちり話せる正義感というのは、実は素晴らしい能力です。
思っていてもなかなか言えないことの方が多いです。
その能力をつぶすことなく、使いようで上手に磨くことで、
反感が尊敬に変わると思います(^ー^* )
SECRET: 0
PASS:
以前の私がそうでした。誰がどう見たって「アタリマエでしょう」と(そうなんだけど)、そういう目線、思考でいたから、みんなに伝わらなかった…みんなが悪いんじゃない。少しずつやり方を変えていくと、少しずつ理解を得られてきて、目からウロコでした。正論だからみんながそうするべき!ではないんですよね。それを目標に、まず何をしていこうか?ってことが大事だと思いました。いい勉強させていただきました。
SECRET: 0
PASS:
>‘thank you伝道師 ポノ’さん
まりんさま
コメントをいただきありがとうございます。
ついね・・・言うことが優先になってしまいがちですが、大切なのは何のためになのですよね。