感性論哲学で提唱する「愛」とは、
表面的なものではなく、理性で解るものでもなく、
理屈を越えた、感性から湧き出る深い思いであるとしています。
例えば、「嘘」
嘘を言うことは良くないことです。
でも、それは表面的なことで、
深い愛は、「嘘を言ってはいけない」と言ってはいけないのです。
嘘はいけないということは、本人が一番よくわかっているのです。
それでも嘘をいってしまう人の心情を理解してあげる。
心ならずもという良心があることを理解してあげることが大切なのです。
嘘をついてしまうまでに、どれだけ悩み考え苦しんだのかという過程を理解してあげることなのです。
■子どもが嘘をついてしまった時
嘘を言ったことを責めずに、嘘を言ってしまうところまで気が付かず、
放って置いてしまったことを
「ごめんね、わかって上げられてなくて」と嘘をつかせてしまったことを侘び、抱きしめる。
その次に、「でも嘘はダメなのよ」と言ってきかすのが、
■友人にだまされてしまった時
だまさなければならないほどまで、追い込まれていたことを知らなかった自分を反省する。
人間は不完全なものだと理解していれば、
だましてしまうのも人間なのだと思えて、自分の人間性を深くします。
そして、その深い愛に相手は感動・感謝するのです。
以上が感性論哲学における「深い愛」です。
理想論と思われるかも知れませんが、
実際にそのように行動したとき、奇跡と思われる、
理屈を越えた愛を実感できます。
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